MEMU

すべては衛生陶器からはじまった。
住環境への挑戦の軌跡
03

「水を軸に」さまざまな事業を複合的に展開するダイキアクシス。なぜ、そんなにも新しい事業へと挑戦し続けるのか。社史をひもとけば、その企業DNAともいえるチャレンジ精神は今から60数年前、創業時の「大亀商事」までさかのぼることができます。

「ダイキアクシス」って何の会社?

ダイキアクシスの前身であるダイキは、1958年に「タイルと衛生陶器の店」として誕生しました。1956年、経済白書が「もやは戦後ではない」と宣言した2年後、時は高度経済成長期のスタート地点にありました。

ところで、この「ダイキ」という社名を聞くと、人によってさまざまな業種を思い浮かべるようです。浄化槽メーカー、TOTOの代理店、中四国ではホームセンターを連想される方も多いでしょう。これはダイキアクシスの前身であるダイキという会社の生い立ちに関わっています。その歴史を少しさかのぼってみます。

ダイキ株式会社は、1989年、住宅機器の卸売会社である「ダイキ商事株式会社」、水処理プラントメーカーである「ダイキ株式会社(旧ダイキ)」、そして小売業者である「株式会社ディック」の3社合併により誕生しました。いずれも当時のダイキグループの中核をなす企業です。株式上場を目指しての統合でした。合併後は事業本部制を敷き、ダイキ商事は「住宅機器事業本部」に、旧ダイキは「環境機器事業本部」に、ディックは「ディックホームセンター事業本部」に引き継がれました。その後、ホームセンター部門を分離独立して、2005年に設立されたのが現在の株式会社ダイキアクシスです。

アクシスには「軸」という意味があります。「水(アクア)を軸(アクシス)として」という社名の由来から水処理にフォーカスされがちですが、そのルーツを創業時までさかのぼると、水を軸に、住宅機器事業と排水処理事業が両輪のように対になって走り続けてきたことがわかります。再び、冒頭の創業時に時を戻します。

 

衛生陶器から浄化槽へ、
分社化のはじまり

「タイルと衛生陶器の店」として創業した大亀商事は、1962年、株式会社大亀商事となり、水まわり商品群の卸販売業を拡大していきます。タイルと衛生陶器の施工・改修工事も請け負いました。ちなみに衛生陶器とはトイレ便器のことです。創業者の大亀孝裕は、住環境の中でもトイレの環境改善に強いこだわりを持っていました。コンクリート便槽、無臭便槽などの販売をスタートしたのもこの頃です。

当時、日本は経済成長による水質汚濁が急速に進み、下水道整備が急務とされていました。行政の動きに呼応して、大亀商事も水洗トイレの普及に取り組みます。ところが、公共下水道の整備は始まったばかり。水洗トイレを設置するためには、汚水を処理する「浄化槽」が必要でした。そこで、新事業として浄化槽の開発・製造に乗り出します。1963年、業界初のFRP製浄化槽の開発に成功し、翌64年に旧ダイキの前身である「ダイキ株式会社(元ダイキ)」を設立。60年代から70年代にかけて、ばっ気式浄化槽「バッキー」や腐敗タンク式「マッキー」などの製品を生み出し、全国に普及していきます。

一方、卸売業では、ステンレス流し台や雨どいなど、水まわり商品群を順調に充実させていく中で、あるヒット商品を生み出します。太陽熱温水器「ユニエーター」です。太陽熱利用といえば今でいう再エネですが、当時は湯を沸かす手間が省ける家事の省力化が狙いでした。1963年には販売部門を独立させて「大亀ユニエーター株式会社」を設立します。同じ頃、建材のスレートの取り扱いもスタートしました。スレートやタイルなどの商品群がシェアを広げたことで、水まわりと建材、現在の住宅機器部門の屋台骨となる商材がそろっていきます。

 

ダイキ商事と旧ダイキ、
それぞれの挑戦

1970年、大阪万博が開催されたその年、大亀商事は組織の大改革を行います。再編成の目的は、グループ全体を「販売部門」と「製造部門」に分離することでした。まず、創業以来、タイルや衛生陶器の卸販売を行ってきた大亀商事を「ダイキ商事株式会社」に社名変更し、ユニエーターの販売部門を合流させました。次に、FRP製浄化槽の製造・販売を行ってきた元ダイキの販売部門を独立させて「ダイキ販売株式会社」を設立。そして、ユニエーターと浄化槽の製造工場を統合し、開発と製造に特化した「ダイキ株式会社(旧ダイキ)」に再編しました。

この組織改革により、住宅用資材の卸販売と小売りを手掛ける「ダイキ商事株式会社」、FRP製浄化槽の販売を手掛ける「ダイキ販売株式会社」、自社オリジナル商品の開発・製造を手掛ける「ダイキ株式会社(旧ダイキ)」による新たなグループ体制が確立しました。このとき、社名やブランド名を全て「ダイキ」で統一したことにより、今につながる「ダイキ」ブランドのイメージが形成されていきます。

その後、ダイキ商事はTOTO特約店となり、70年代から80年代にかけて、ユニットバス、システムキッチンなど水まわり商材のシェアを拡大していきます。さらに体育館フロア、ステンレスタンク、プール施工、病院のクリーンルームなど建材部門を拡充し、住宅用資材の卸販売と施工で成長を遂げていきました。一方、旧ダイキは分社化と多角化を進め、開発・製造部門を強化する一方、販売部門のダイキ販売を合併し、水処理事業の基盤を固めていきます。1978年にはホームセンター事業にも進出し、株式会社ディックを設立。この3社が後に合併して、ダイキアクシスの前身であるダイキが誕生したことは前述のとおりです。

 

守るべきは守り、
変えるべきは変える

「タイルと衛生陶器の店」として創業以来、「住環境を改善したい」という思いからさまざまな事業に挑戦し、多角化と分社化、統合と再編を繰り返し、成長し続けてきたダイキ。その思いを「軸」として受け継ぐダイキアクシスもまた「環境創造開発型企業」として新たな挑戦を続けています。身近な住環境の改善も地球規模での水インフラの整備も、地産地消の再生可能エネルギーの開発も、すべては「住環境の改善」を原点とするダイキグループの挑戦の軌跡であり、未来に向けた私たちのACTIONなのです。

参考資料:ダイキグループ編纂委員会『素人経営の真髄』PHP研究所、2012年