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スッテモムイデモ #変われ、自分。
vol.4 ビーチバレー×ダイキアクシス
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この夏、第30回を迎えた「マドンナカップin 伊予市」を知っていますか? 実は愛媛は、知る人ぞ知る高校女子ビーチバレーの聖地にして、日本初のプロビーチバレーチーム「ダイキヒメッツ」が誕生した地です。今回はスペシャルゲストに元ダイキヒメッツの佐伯美香さんをお迎えし、ダイキアクシスとビーチバレーの“スッテモムイデモ”な歩みをお伝えします。

マドンナカップとは
 

毎年夏に愛媛県伊予市で開催される高校女子ビーチバレーの全国大会(JVA全日本ビーチバレーボール高校選手権大会)。各都道府県の予選を勝ち抜いたペアが出場し、会場の五色姫海浜公園を舞台に熱戦が繰り広げられる。ダイキアクシス創業者の故·大亀孝裕前会長の提案により、ダイキヒメッツ結成と同年の1997年に始まり、今年で第30回を迎えた。

 
 

マドンナカップ in 伊予市

 

なぜ愛媛が「女子ビーチバレーの聖地」になったのか

1997年、ビーチバレーで五輪出場を目指す佐伯美香選手(当時)をサポートすべく、日本初のプロビーチバレーチーム「ダイキヒメッツ」を創設した大亀孝裕前会長は、世界にも例のない屋内型ビーチバレーコートを松山市内に作るなど、ダイキヒメッツの活動を全面的にサポートする一方で、ジュニアの養成にも力を注ぎました。

当時日本ビーチバレー連盟理事長からジュニアの養成がまったく進んでいない現状を聞かされ、愛媛県で全国ジュニア大会の実施を提案します。1997年、松山市城山公園のテニスコートに砂を運び入れ、特設ピーチコートで「全日本選手権大会」を開催しました。それが今につながる「マドンナカップ」のはじまりです。

1999年、第3回大会から「愛媛をビーチバレーの聖地に」と伊予市が開催地を受け入れ、五色姫海浜公園にコートを整備。以降、毎夏、女子高生たちの熱戦が繰り広げられています。

 
 

もう一度、愛媛から世界へ!

 

マドンナカップとひめっこビーチスクール

Q:マドンナカップでは今年も熱い戦いが繰り広げられました。愛媛からは県予選1位の宇都宮・境ペアと2位の首藤・藤本ペアの2組が出場し、首藤・藤本ペアが見事3位入賞を果たしました。今大会を振り返っていかがでしたか。
 
佐伯:実は初戦で敗れた宇都宮・境ペアは国スポの県代表チームなんです。それがいきなり優勝候補の兵庫代表と当たってしまい、波乱の大会となりましたが、この悔しさを国スポで晴らしてくれたらいいなと思っています。

 
Q:4人は普段から佐伯さんも指導されているのですか。

佐伯:もちろん、大学生と一緒に練習しています。境はFC今治校でビーチだけをやっている選手ですので今日も一緒に練習しました。宇都宮と境、あと1年生の藤本も一緒に大学の練習にも来たりしています。
 
Q:練習会場は主にダイキの室内ビーチコートですか。
 
佐伯:そうです。今は「ひめっこビーチスクール」といって、私が運営している「ビースポルトえひめ」の拠点になっています。えひめ国体を皮切りに、世界への挑戦を再び愛媛からスタートさせたいという思いで設立したクラブで、ビーチバレー初心者のためのアカデミーから、経験者のためのサークル、チームレベルアップのスクール、国スポ選手や日本代表選手の育成を目標としたネクストエイジまで、さまざまなクラスを設けています。4人ともサークルには来ていますし、境はスクールから来ていました。
 

 
 
 

試行錯誤で、とにかくやってみる

Q:そうやってジュニアの時からビーチバレーを経験できるのは貴重ですね。他県の高校生たちはどのように取り組んでいるのでしょうか。各高校にビーチバレー部があるのですか。
 
佐伯:いえ、今ビーチ部がある高校は全国でも数少なく、普段インドアをやっている選手が夏にビーチバレーをやって、予選を勝ち上がって全国大会に来ているケースが多いです。
愛媛に関しては、国スポの代表選手を育てるために県内でビーチバレーに向いている選手を指導者が選んできて、本人ないし所属しているチームの監督から OK が出れば、ビーチもインドアも両方やるという形で強化体制を作っています。今回のチームも、国スポの監督やスタッフが「このペアがいいよね」という形でペアを組ませて出場しています。
 
Q:佐伯さんの努力の甲斐あって、愛媛ではすでに育成体制が整っているのですね。
 
佐伯:まだまだ試行錯誤です。何が正解かっていうのは今でも分からなくて、うちのスクールを経て高校でもビーチバレーをやりたいという選手が出てきたので、東雲高校にビーチ部をつくった時もあったんです。でも、そうすると県内にビーチ部が東雲しかないので、他の学校の子たちが「どうせ予選に出ても勝てないや」ってなっちゃったんです。それでは普及にならない。そんな感じで、とにかく取りあえずやってみて、ダメだったらまたやり方を変えてという感じで取り組んでいます。
やはり歴史が浅い分、まだまだ知られてない競技でもあり、でも環境は整っているので、その環境をうまく利用しながら手探りで、少しでも参加してくれるように、ビーチバレーをたくさんやってもらえるような体制づくりを目指しています。
 
Q:まさに佐伯さん自身のスッテモムイデモですね。
 
佐伯:結局それしかできないので。ずっとバレーしかやってこなかったので、バレーボールやビーチバレーをやることで自分自身もいろいろな経験をさせてもらいましたし、それを恩返ししていくのが今の形なのかなと思っています。
 

 
Q:そうやって育成してきた愛媛のマドンナたちは、今後も競技を続けていきそうですか。
 
佐伯:宇都宮は県外の大学に進学して、インドアとビーチの両方やるところに行くそうです。境はまだ進路は決まっていないようですが、ビーチは続けると思います。
 
Q:そしてまた将来は戻ってきて、愛媛の指導者に。
 
佐伯:なってくれるといいですね。東雲女子大にビーチ部をつくりましたが、結局スポーツをやっている子は将来体育の先生になりたい子が多くて、大学は県外に出てしまうのですが、今その子たちが卒業して愛媛に帰ってきて、指導者としてやってくれています。
私も今はまだ指導者としてやっていますが、マドンナカップに出た子たちが大学に行ってビーチを続けてくれて、そして社会人になって帰ってきた選手がいかにまた指導者として活躍できる場を作っていくかという、次の指導者を育てる年代になってきました。
 
Q:出会った時に大亀前会長が言ったとおり、将来のビジョンが広がっていますね。
 
佐伯:それができるのは、やはりあのひめっこビーチがあるからです。実はダイキがDCMになった時、一時期DCMの持ち物になっていたんですよ。それを息子さんの裕会長が買い戻してくれて。やはり唯一、孝裕前会長が作って残してくれたひめっこビーチなので、その思いを裕会長が引き継いでくれたのだと思います。
 
Q:さらに孫の裕貴社長が創業者の思いとして引き継いだ「スッテモムイデモ」の精神とともに伝えていきたい、ダイキアクシスにとっても大事な施設ですね。
 
 
 
 

おわりに

 

ダイキアクシスへのメッセージ

 
 
Q:最後にダイキアクシスへのメッセージをぜひお願いします。
 
佐伯:私自身も当時ダイキの皆さんに応援していただきましたが、今は村上礼華がダイキアクシス所属でオリンピックという大きな目標に向かって夢を持って挑戦しています。ぜひ応援していただきたいと思いますし、また「スッテモムイデモ」なその姿を見て、少しでも皆さんの励みになれば嬉しいなと思います。
 

 
 
Q:これからも村上選手の活躍、そして佐伯さんがビースポルトえひめの理念に掲げる「愛媛から世界へ! 再びビーチバレーで感動を!」という夢を応援します。本日は貴重なお話をありがとうございました。
 
 
 

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佐伯 美香

ビースポルトえひめ代表(元全日本バレーボール選手・元プロビーチバレー選手)
愛媛県松山市出身。バレーボールで1996年アトランタ五輪出場。ビーチバレーで2000年シドニー五輪4位、2008 年北京五輪にも出場した。1997年からダイキヒメッツに所属し、12年にわたり女子ビーチバレー界の第一人者として活躍する。2009年、引退。
現在は松山東雲女子大学・短期大学バレー部・ビーチバレー部コーチ、オーカバレーボールクラブ&スクール愛媛校代表、ビースポルトえひめ代表としてインドア・ビーチを問わず、全国で強化指導、普及活動を行っている。
 
日本ビーチ文化振興協会 代表理事
B-SPORT EHIME 代表
愛媛県ビーチバレーボール連盟 強化委員長
 

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