DAIKI AXIS INTEGRATED REPORT2024
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SPECIAL対談DAIKI AXIS INTEGRATED REPORT | 10大亀 経営者としてまだ船出したばかりですが、WBSでの学びを今後、実践で活用し、事業成長につなげていきたいと考えています。その中で、現会長がスローガンに掲げていた“PROTECT×CHANGE”は私も非常に共感していたもので、昨年、理念体系を刷新し、当社グループの土台となる精神(SPIRIT)としました。 守るべきものとして、私は無形資産の一つとして、創業者の思いを受け継いでいきたいと思っています。創業者は県庁の人事部で働いていましたが、一念発起して衛生陶器とタイルの商社を始め、水回りをきれいにして人々のQOL(生活の質)を上げたいという思いで事業を行ってきました。そこには「社会貢献性」という経営の軸があると思っています。また愛媛の言葉で「スッテモ ムイデモ」という、どんなことがあっても諦めないチャレンジ精神も受け継ぐべきものと思っています。 変えていくものは、事業戦略ではグローバル化と新規事業です。また、働き方や組織体制も、世の中の動きや市場環境の動きに沿って変えるべきものだと思っています。米田 ファミリービジネスは、一貫した行動原理に基づく企業経営を通じ、多世代にわたって獲得してきた信用をもとに、超長期で見た企業の競争力を確立しています。そのため経営変革においては、過去を完全に立ち切る革命的な手法ではなく、伝統の上に市場が求めるイノベーションを加える進化的なアプローチが必要となります。 一般的にファミリービジネスが三世代を迎えると、事業を支える創業株主内には遠心力が強まり、放っておくとファミリービジネスとしての生存率が非常に低くなると言われています。それ故、ある種の修羅場体験、創業者体験をどうつくるかが裕貴社長にとってもチャレンジだと思います。グローバル化や新規事業は最も修羅場体験ができる機会だと思います。今後、長年にわたって築き上げてきた無形価値をいかに承継し、今の時代に合わせてその価値を再定義してイノベーションにつなげていくかが、創業株主を持つ上場会社としての貴社に求められています。 皆さんの言葉で言うならば、それが“PROTECT×CHANGE”だと私は解釈しており、素晴らしい経営の精神だと思います。社外取締役対談グループを支える基盤ダイキアクシスグループを知るされていますが、エントレンチメントにはどのような特徴があるのですか。米田 ①PBRが1を大きく割っている、②PER(株価収益率)も低い、③現預金額より有利子負債額が大きい(ネット有利子負債がマイナス)、これらがエントレンチメントに陥っている企業の典型的な状況です。貴社の直近のバランスシートと、PBR、PERを確認しましたが、市場データから検証して、貴社はそういった状況にはなっていませんでした。 今後、ファミリー系の上場会社は、塹壕に入っているエントレンチ型のものか、そうではないものか、二極化してくるのではないかと思っています。それを見分けるには、財務に加えて人材の面からも経営改革を進めていることが重要です。貴社も、こうした資本市場のメッセージを常に意識し、創業株主の次世代リーダーであり、経営執行者として、裕貴社長には貴社の立ち振る舞いを社内外に発信し続けていただきたいと思います。大亀 米田先生からのメッセージも含めて、しっかり伝えていきます。地域において資本市場に認められるファミリー系企業が増えていくよう、仲間をつくりながら責務を果たしていきたいと思っています。−事業承継と“PROTECT×CHANGE”早稲田大学 総合研究機構国際ファミリービジネス総合研究所招聘研究員公益社団法人日本証券アナリスト教会プライベートバンキング教育委員会委員長㈱青山ファミリーオフィスサービス取締役米田 隆氏[社訓]一、 人より一歩でも前をあゆめ 人並みのあゆみでは価値がない二、 常に計画を立て、スッテモ ムイデモ やり抜く粘り強さと実行力を持て三、 きのうと同じことを繰り返すまい 日々新たな工夫を重ね開拓の心をみがけ四、 誠意とは、じょうずなことばでも物でもない 血の通った温かい心である五、 健康なからだから、たくましい活力が生まれ 柔らかい笑顔から美しい心が生まれる「スッテモ ムイデモ」とは愛媛県丹原地方の方言で「なにがなんでも」「是が非でも」「身をすりむいてでも」という意味があります。大亀がよく口にしていた言葉で、強い気持ちで仕事に打ち込んできたグループ全体の姿勢を表す一言でもあります。どんな失敗や困難に直面しても決して諦めずに挑戦し、なんとしてもやり抜くという創業者の思いを胸に、ダイキアクシスグループは今後も日々挑戦を続けていきます。COLUMNダイキアクシスの礎を築いた創業者 大亀孝裕PROFILE早稲田大学法学部卒業後、旧日本興業銀行の行費留学生として米国フレッチャー法律外交大学院国際金融法務で修士号取得。1991年、国際経営コンサルティング会社、㈱グローバル・リンク・アソシエイツを創業。2013年より早稲田大学大学院商学部(MBA)客員教授、ビジネス・ファイナンス研究センター上級研究員(研究院教授)を経て2023年、国際ファミリービジネス総合研究所招聘研究員に就任。専門はファミリービジネス。財務戦略による事業承継・ファミリービジネスへのコンサルティング実績は多数。社長の大亀とは米田氏のご子息も含め、プライベートでの交友を深めている。一念発起して創業愛媛県周桑郡丹原町(現:西条市)の農家に生まれた大亀孝裕(以下:大亀)は、高校卒業後、故郷を離れ、愛媛県庁の職員となりました。しかし「もっと主体的に、自分の力でやりがいのある仕事をしてみたい」という気持ちから県庁を辞し、1958年にタイルと衛生陶器の店「大亀商事」を創業しました。「やるからには人の3倍働く」という決意のもと、飛び込み営業から便器の改修工事まで自らこなし、来る日も来る日も働き抜きました。水回りから人々の生活の質を上げる大亀がトイレにこだわり続けたのは、幼い頃に実家の納屋のトイレで感じた強烈な臭気や、夜の恐怖感が背景にありました。生活環境を改善したい一心で、便器に加えてコンクリート便槽や無臭便槽の販売にも取り組み、水洗トイレ普及の機運が高まった際にはいち早く社屋に展示場をつくって宣伝に努めました。また、トイレの他にもステンレスの流し台や雨どい、太陽熱温水器などを販売し、水回り商品を拡充していきました。新素材による浄化槽の開発に挑戦水洗トイレの普及が始まった頃、県内の下水道整備はコストや山間部の工事の難しさから時間がかかるだろうと大亀は予測しました。そこで浄化槽の製造販売に取り組みます。従来は現場でのコンクリート造が一般的でしたが、運搬しやすく、工場で大量生産ができるように当時新素材であったFRPを使った製品の開発に挑戦しました。試行錯誤の末、1964年、業界初のFRP製浄化槽の一号機が完成。その後もボート、床下収納庫、庭石、タイムカプセル用の容器などFRP製の新商品の開拓にも取り組みました。もっと暮らしを豊かに快適に1978年にはホームセンター事業に進出。当時、愛媛県には卸売や工事等で扱ってきた住宅関連用品を家庭用に販売する小売店はなく、商機を感じた大亀は、視察や調査の結果、参入を決意しました。その後、県内で圧倒的なシェアを獲得する「ドミナント戦略」を展開し、急成長を果たしました。(ホームセンター事業は現在㈱DCMが継承)スッテモ ムイデモダイキアクシスのクレドの元となる社訓は1971年に制定されました。常に新しい発想に向かって突き進み、数々のチャレンジをしてきた大亀の人生哲学が反映・凝縮されています。

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